大学主席で卒業したのにうつになった話。パート8ー完ー

前回は、異動先が前いた部署ではなく、うつ病の発症原因である顧客対応をする部署に異動になったところまで話をしました。今回は、そこで何が起きたか、話していこうと思います。

 

顧客対応をする部署、これは相当重たい、けど決まった以上行くしかないと思った。社会人1年目と比べて、やや件数は落ちているが、あまり人もいないところだったので、しゃかりきと働く必要があった。その部署にいたのは、上司1名(上司の上司はいない)に正社員が1名、フルタイムのパートさんが1名、短時間パートさんが1名、そして私の5名という布陣で、正社員の1名はあまり仕事ができるタイプではないため、フルタイムのパートさんが色々取り仕切っていたし、私もこのパートさんのいうことを聞いていたわけで、そもそも顧客対応の部署の経験なんてちょっとしかないので、仕方なかった。このフルタイムのパートさんがまた、色々急かす人で、ちょっとでも何かしてなかったら何かするように求めてきたし、今まで違う畑でキャリアを積んできたので、勝手が違うことを何度も説いていた。これはひょっとしてちょっとまずいところに来たのではないか…?と思ってしまった。

 

さて、業務スタートをして数週間、なんとか乗り切ることができたが、自分の心を完全にへし折ることがあった。ある一般消費者の対応であって、90分以上も電話を切らせてもらえなくて、ひたすらなじられ、怒鳴られ、人格否定され、無茶苦茶な要求をされ、断るとさらに激昂というもう手に負えない状態であった。傷ついてやっとこさ戻ってきた先制パンチがこれならもうたまったものではない。その日は仕事が手につかなかった。翌日上司に連絡して、「かなり厳しい状態なので、時短をさせて欲しい」と伝えた。上司からは、「仕方ないことだから、わかった」と言われた。

 

さてこの上司にはなんと配属当初、私がうつ病で休職していたとこが伝えられなくて、上司も私の口から言って初めて知って驚いていた。この会社、配慮というか、そういうの足りないよなって思ってしまった。それは色々なところに現れていたので、最低限伝えておいてくれよって思ってしまった。

 

上司に時短を連絡してすぐ、人事課長がやってきた。そこで60分くらい話をしたのだが、要約すると、「前いた部署に戻すことは不可能である。」「私のことを考えると、この際辞めたらどうだ。」ということ。どうやら上司が人事課長に相談したらしい。実は異動してすぐにもう辞めようと決心をしていたから、私からは「正直、今の部署でやっていける自信はないです。辞めたいと思います。でも転職先が見つかるまでは続けたい。」と言った。それは認められ、かくて会社公認の転職活動がスタートすることになったのである。

 

県をまたぐ異動をしてしまったので、病院を変えないといけない。そこで新しい先生にあって、相性も悪くなさそうと思った。その先生には、結構不安案とか不眠の傾向が見えて、まずい状態です、というと、「辞めるか、休職するしかない。」と言われてしまった。これ以上の休職はないな、と思ったので辞める決心をより強固にするものになった。

 

満身創痍な状態から復活し、でもどこか無理をしている自分、無理をしたときの結末も自分で回収しないといけないというのがここで出てくる。クレーム対応をした結果、1年目と同じく、心がへし折られる事案が発生し、結局辞めるしかない。だったら無理して部署から出るのではなく、辞めて転職活動をしておけばよかった。と思ってしまったし、この異動実は自己都合による異動となってしまったので、家賃補助は継続されたが、退去費、引っ越し代、新居の初期費用の一切合切自分で負担しなければならない。〆て30万以上。これは手痛いとかそういう次元を超えて、貯金がふっとんだ。

 

休んでいる期間は傷病手当金で生活をつないでいた。でも旅行したり、色々生活するとお金はかかってきてしまう。しかも悪いことに、時間が有り余ると、メルカリやアマゾンを見る時間も増える。買いたいものが増える。衝動的に買い物してしまう悪い癖がここででてしまい。事前にあった平均くらいの貯金額は見事に減っていき、そこに追い打ちをかけるかの如く、30万の出費、これはお財布に深刻なダメージを与えたのである。

 

うつ病になると、お金の心配をしないといけない。傷病手当金は、給料の標準月額の大体7割弱をもらえる制度である。これで食いつなぐか、親から援助してもらうしかない。

 

さて結局、新しく赴任した部署には3か月しかなかった。それ以上は持たなかったし、転職先が見つかったので、冬、世間はクリスマスというときに上司に辞めることを伝えた。大した成果を残すわけでもなく逃げるように去った職場。フルタイムのパートさんに色々とげのあることを言われたが、もう辞める事実は変わらない。辞めるしかない。そう信じて新卒で入った会社を辞めた。

 

そこには幾度となく出てきた過去の栄光はなく、満身創痍で顔面蒼白な私がいただけだった。これをみじめと呼ぶのであれば、みじめなのかもしれない。成れの果てと言えば成れの果てだろう。それを許容できるようになるためには時間がかなりかかるのだろう。病気と一緒で長く付き合っていかないといけないのだろう。自信満々で入った会社で自信をへし折られ、尊厳がなくなり、ズタボロになった。でもいつか、こういった人生をもろもろ含めていい経験だったって言えるように、なりたい、と思う。

 

以上が大学主席で卒業したのにうつになった話です。

ここまでお読みくださりありがとうございました。

次のネタは思慮していますが、サイドストーリーを書こうか、大学生のころを書こうか、大学受験もなかなか一波乱だったのでそれを書こうか、高校生での生徒会長の経験を書こうか迷ってます。