症状は寛解したと思って頑張ったら身体の方に症状が出てきた話

私は、公式にはうつ病となっているが、双極性障害Ⅱ型の疑いがあり、服薬も双極性障害に寄ったものになっている。

なので、自分は双極性障害と思って動いているところはある。今回は症状が全然出ていないと思ったのに実は症状が出ていて身体症状に出てしまった話をします。

 

私は今、障害者雇用枠で働いている。もちろん障害者雇用枠の雇用形態は契約社員。なので、責任とかそういうのはないのだが、私は契約社員で終わりたいと思っていない、目標は正社員なので、この職場でいかに爪痕を残そうかと毎日思っているのである。

精神科に行く前、というか症状が悪化する前に働いていたところは新卒の総合職で働いていて色々経験させてもらったから、今いる部署に近い経験を積んでいて、PCスキルもプログラミングこそできないけど、マクロで大体できることは表現できるレベルにあるので、スキルも悪くない。だから、今の会社でも大きいプロジェクトに参加させてもらって、障害者雇用というのを感じない働き方をしている。

やっぱり色々前に働いていた会社と既視感もあって、仕事の飲み込みだったりが早いので、入社して数か月で2つの大きなプロジェクトに参加させてもらった。担当はマクロ等を利用したソフト開発とその社内向け発表資料の作成などである。今の会社に入って初めての大きい仕事だったので胸が躍った。そして、ここで俺の実力を会社に示せすことができれば、正社員へは一歩踏み込めるぞと考えていた。なので、頑張っちゃうのである。これがある意味で失敗に繋がってしまう。

会社にこまごまと相談出来る人はいたけど、マクロなどを知っている人ではないので、自分で考えて、自分で発表資料を作り込んで、結構な短納期で実現させないといけない。だから無理をした。朝6時から会社に出社し、定時過ぎまで働いたり、定時に出社して8時過ぎまで働いたり、でもその時は残業が多くて疲れると思っていたけど、それまであまり会社への貢献度を感じられなかったので、やっと会社に貢献できる仕事ができるという思いで、疲れた、という感情にふたをしてしまった。だから厳密にいえば疲れた、って認知していた。いたけど、それを上回るもっと先の利益を、正社員になるために、を目指して頑張った。正直、新卒で入った会社では残業が30時間とかは当たり前だったので、この程度の残業で疲れるのはまだまだ体が訛っているな、くらいに思ってしまった。体からのサインを無視してしまった。体は確かに疲れてるよってサインを出していた。

で、結局その無理を2か月ほどして、プロジェクトは終了し、結果も良好ですごく満足した結果だったけど、雇用の方で少し腰折れなことがあったりした。しかもプライベートの方がタイミングの悪いことにこの時期に婚活をスタートさせていたのである。婚活と言っても簡単に会いに行けるのではなく、ドアTOドアで2時間かけてまだ見ぬ知らない人に会いに行って、そうすると休日は確実につぶれる。それを1か月続けていた。つまるところ、体が本当の意味で休まる時間を作ることが出来なかったのである。婚活って言っても事前準備があるし、この人にはどんなことを聞いて…などなど疲れがたまるものである。

なので公私ともに疲れていることをやっていたので、体が休まらない。そして、その結果、なんとなく最近ちょっと胃の調子が悪いなぁと思ってたら、突然強い吐き気に襲われてごはんが食べれなくなって、身体症状に疲労やストレス、気を張ってごまかしていた感情などが現れてしまった。

結局それから2週間近く経って、空腹感は出ているけど、消化の悪いものを食べたりすると胃の調子から吐き気や胃のむかむか感につながるので、朝はお茶漬け、昼はゼリー飲料、夜はうどん、という生活をしている。体重が2週間足らずで3kg下がった。元々肥満気味なのでいいのだが、これはいい痩せ方ではない…

心療内科のほかに消化器を専門にする内科にも通っていたから、消化器の先生に相談をすると、胃酸過多もしくは逆流性食道炎がまず疑われるとのことで服薬をもらってとにかく食べれることを目標に服薬を入れて行った。その強い吐き気から休日の予定はキャンセルしたから少し体を休ませ、また、会社の方でも顔色が優れないことや固形物があまり食べれないことを心配して頂いて業務調整が入ってあまりすることもないこも重なり、症状はだいぶん良くなってはいる。けど、胃酸過多でも逆流性食道炎でもなさそう、胃のむかむかは残っているから。そうなると、機能性ディスペプシアの線が出てくる。この機能性ディスペプシアは昔は神経性胃炎とも言われていたところから想像がつくように、ストレスなどの心的症状からくる胃の不調。これを確定診断させるには胃カメラを入れる必要があるよって言われていて、今それを入れるか入れないか話しているところである。

この途中経過を心療内科の先生にお話しするとやっぱり機能性ディスペプシアが疑わしくて、疲労・ストレス→身体症状と思っていたら、疲労やストレスなどの精神症状を、双極性障害の躁的防衛で抑え込んでいたから、身体症状が強く表れるまでになったと言われた。これにはかなりショックだった。だって、自分が考えていた疲労・ストレス→身体症状、ではなくて、疲労・ストレス→精神症状→身体症状ということになってしまう。ちなみに、躁的防衛とは、ストレスなどのネガティブな感情にふたをして明るく振舞うということである。これを私の事例に当てはめると確かに疲れたとか、やっぱり知らない人と会うのはストレスだし、時間も労力も結構かかるなぁ、しんどいなぁと思っていたけど、いやいや、自分は「普通の人」になってきたから大丈夫だ。なんて思ったりしていた。「普通の人」になりたくて、周りと同じようになりたくて、体の悲鳴に躁的な防衛をもちろん無意識に発動させてしまった。精神症状があったことがショックだったのはやっぱり、病院に行っているけど自分なら大丈夫だ、と思っていたフシがあったから。

だから、まだやっぱり「病人」であり、やっぱり「精神障害者」(手帳を持っているから)というところを忘れてはいけないということかと思った。精神系の病気は治る治らないの線引きってとても難しいと思った。そして、やっぱりそこをちゃんと認識して体をいたわってあげないと、現に食べたいものが食べれない制約が精神系疾患の制約と追加で加わってしまっては全く笑えない。精神疾患から脱却したい、脱却したところを自分で自分に自信を持たせたいから、頑張ったけど、まだその自信を持つのは先になりそう。だから今回の結果になってすごい悔しかった。まだ自分は精神疾患を抱えたままなんだって(処方がほぼマックスで出てるのに)私は頑張れないのか…と思ってしまった。

でも、今回の出来事は悪いことが全部ということではなくていいことももちろんあった。プロジェクトを完遂させたり、高評価を得たり、婚活の方はお察しのところはあるが…

精神疾患を持ってる人が活躍できないと言いたいわけではない。自分の体調と本当に向き合って「無理」をしない。「普通の人」に早急になろうとしない。まずは改めて「ありのままの自分で大丈夫」と自分で本音としてそれを言ってあげれる、そんなことが大切と思った経験。悔しいけど、また学んで、そしておそらく私の性格からすると忘れることも結構ある、そしてそのたびにまた思い出してちょっとだけ変わってゆく、そんなお話。無理をしたことは今に始まったことではない。だからちょっとずつ頑張るやり方、方向性、そして頑張っていいのかを見極めることをやっていかないといけなし、おそらく精神系疾患を持っている人がやらないといけないことなのだと思う。ちょっと調子がいいからと言って、あまりやりすぎると、痛い目みるから、主治医の先生など信頼できる人と話しながらゆっくりやる、というところと、頑張りたい人は頑張る、という感情と上手く折り合いをつける。そんなことだと思う。