大学主席で卒業したのにうつになった話。パート7

前回は休職延長と、服薬安定からの睡眠が安定して取れるところまでお話しました。今回はどうやってリハビリをしていったか、そこをお話していこうと思います。

 

服薬が安定して、睡眠をとれるようになった、と言っても23時就寝の朝5時までしか睡眠を維持できなかったわけであるが。朝4時とか5時に起きる生活を数か月するともうとにかく一日が漫然と過ぎていくわけである。時間が溶ける。何もしていないまま一日が無為に過ぎていく。だんだん、このままじゃいけないよなと思い、ちょっと体を動かしてみようということになった。

 

そこでまずやったのは断捨離である。先生からものの整理は心の整理だからいいことだと思うよって言われたので、特に私の場合は本が大量にあったので、ブックオフにいっぱい持って行って、貯金にしたり、初めてメルカリを使ってみた。最初はかなり抵抗があったが使ってみたら、意外となんとかなるものだなぁと思った。そして断捨離をせっせと遂行していくうちに、次のステップに進んでいいんじゃないかって話になり、散歩をするようになった。

 

うつ病の治療において軽い運動はいいことだと言われているらしいが、朝の散歩がルーティンになっていった。しかし、最初は張り切って60分、散歩をしたのだが、とにかく疲れて、そして、夜になるととてつもない不安感に襲われることが分かった。なんと60分の散歩ですらできない状況になっていた。数か月ほとんど外出せず、病院に行くだけならそれも道理であるが、これもまた自信喪失につながってしまった。しかし、治療の方が割と進んでいたから、なら次の日からはまず15分にしようということで、短い時間から始めた。それに慣れたら30分、次は45分、と厳密に時間で区切って散歩していた。散歩をしてみると色々な発見があることに気付いた。日常の些細な発見、それまでの自分では気づかなかったこと。おそらく病気にならなければ気付かなかったであろうことに気付くことが出来たりもして、ちょっと幸福度が上がった。

 

リハビリにおいて特に何かしたわけではなくて、散歩の距離をひたすらに増やしていったのと、本がある程度読めるようになっていたので、自分で本を読んでみて、色々ストレス対処の勉強をするくらいだった。

 

散歩の距離も結構増えて、数キロ歩けるようになったとき、ふと旅行に行きたいと思った。かつて旅行は趣味だった。色々迷ったが、歩行距離を考えて管理すればなんとかなるだろうと思っていってみた。ちなみに、うつ病が一番ひどいときに、2泊3日の旅行に友人3人と行ったのであるが、これが散々で、少し歩いただけでへばってしまい、友人に付いていけない。途中離脱と休憩を繰り返す始末。歩きすぎて、最終的に吊り橋の上を歩いているような感覚に陥ってしまい、ギブアップ。車で休ませてもらったりした。いよいよ旅行も出来なくなったのかという感じでまた自己嫌悪に陥る。そして旅行から帰ってから、数日は全く動けなくなってしまった。ということもあるので慎重になっていたのであるが、思い切っていってみようと、四国に行ってみた。乗り放題切符があったから4県制覇したいと意気込んでいた。コロナになったらヤバいと感じていたので、アルコールウェットティッシュを持参し電車の席やホテルの机回りを拭いたり、衣類にかける除菌スプレーを持っていき、ひたすら服にかけたり、その辺は相変わらずだったと思う。でも鉄道旅は十分満喫できた。あまり、動かず電車に揺られて車窓を眺めたり、4県制覇できたという達成感は自分の自信回復の途上で必要だったのだろう。

そして、ちょっと東京に行きたいと思った。その理由は、飛行機に乗ることが大学生の時からの趣味だったので、せっかくなら行ってみたい。それでANAユーザーなのでプレミアムクラスに久々に乗ってみたいと思った。思い立って行ってみて色々なことをして、いよいよ意欲も体力も基礎的な自信も回復してきたなという手ごたえを感じていた。

 

となると次に待っているのは復職である。これは結構色々あったのである。私の主張は一貫して、今の部署でやりきる自信はないので、前いた部署に戻してほしい。ということである。それ数々の面談を乗り越えて、とりあえず前いた県に戻ることは決まった。この面談も人事の責任者と何度も重ねたのであるが、人事の責任者からなかなか色々なことを突き付けられた。そう自分が見つめるのを嫌がっていた現実とか、そういうのを。今思うと正論なのだが、うつ病の人に正論パンチかますかねぇ…と面談の度に意気消沈した。でも、色々な関係をたぎって必要だったとしても、仕事を一切合切上司に丸投げして休職に入ったので、この部署でまた関係した方と関係構築するのは無理だと思ったし、職場環境も悪く、周りが全員敵に見えたから、もう耐えられないのは明白だった。ちなみに、保障されたのは元いた県に戻すってことだけで部署名などは明らかにならなかった。でも私はてっきり元居た部署に戻してくれるのだろうと、楽観的に思っていた。さらに条件が付いて、今いる部署でちゃんと働けることを証明しないといけないということであった。期限は1週間、まさにお勤めといった感じであった。先生や会社と色々話し合った結果、復職は秋と決まり、それに向けて準備を色々した。

 

準備と言っても、朝、仕事に行く時間に起き、会社までのルートをたどってみて、ちゃんと通えるか確認したり、そういった具合である。でも一応趣味レーションでは過呼吸も起きなかったし、大丈夫だろうと思った。

 

地獄の1週間が始まるのである。先生からは1週間くらいならなんとかなるから、元居た部署に戻してもらえるなら、そっちでゆっくり立て直した方がいいという具合であった。実際、空気は地獄だし、居場所はないし、こんなところに入れたものではないと、お昼の休憩には外に出て、戻りたくないと思った。でも、勝手知ったるかつての部署に行けるなら、それも耐えられる、それを支えにやってみた。実際、出勤もちゃんとできていたし、パソコンを見ながら過呼吸になるわけでもないので、しっかり仕事はできたのだが、どうも顔色が優れなくて、やっぱりまだ早かったかなぁとも思った。でも、ここは無理を押してでも行くしかないと割り切って、1週間走り抜けた。でも無理をするとそれはいつか自分で結末を回収する必要がある。その時の自分はそこにあまり考えが至らなかった。

 

異動先の部署は最終日に知らされた。それを聞いて愕然とした。確かに元々いた県には返してくれたのだが、なんと配属先が社会人1年目のクレーム対応をする部署への異動が命ぜられた。え、ちょっと聞いてないんですけど…と思ったが、この地獄から解き放たれるなら、とも思ったのも事実であるが、ちょっとさすがにそれってアリなのか、アリなのかぁと思ってしまった。会社には1年目に病んだという事実は知られていた。それをもってもなお、その部署に行かせる。かなりどうかな、と思ったけど、決まった以上は仕方ない、と割り切れないけど不安いっぱいで異動することになった。

 

次回は、その異動先でどういうことが待っていたのか、書こうと思います。