精神障害者と普通の人のはざまで

普通に生きる。朝、電車に乗り、あるいは、車に乗り、どこかにショッピングに行き、映画を見て、一日の終わりに普通に眠る。普通の生活。どこにでもある生活。当たり前の生活。その生活は一度壊され、リビルドしてもなお漂流し続ける。脆いもの。精神疾患と普通の人のはざまで思うこと。

 

私は、精神疾患うつ病双極性障害Ⅱ型疑いあり、の、ADHDの併発の疑いありの、はっきりしない、疾患を持っていて、精神障害者保健福祉手帳を持っているので、行政の制度上は障害者ということになる。しかも悪いことに疾病がアイデンティティ化している。

気分が落ち込んだりし始めたのをはっきり認識したのは、高校3年生。大学受験でのこと。成績が全く上がらず、毎日泣いていた。このまま落ちるんじゃないかって、本当のそう思えて、それがリアルに感じて、だから泣いていた。だから高校3年生の特に夏は全然勉強が手につかなかった。泣いてたら勉強はできないから。でもそれは成績が上がると同時になくなっていって、次に現れたのは大学4年生、住んでいた賃貸住宅の部屋の壁を気づつけ、ドアに穴をあけ、フローリングを傷つけまくって、それを認識した時に、これ原状回復いくらになるんだろう、払えるのかって怖くなって、それが頭から離れなくなって、どこに行ってもその不安が頭を常に支配する。怖い、その時は大学の学生相談所に行って臨床心理士の先生にカウンセリングしてもらって乗り切った。結局、原状回復費はかからなかったから、壮大な杞憂だった。

でもこの時、別にそういったところを友人に見せるとか、本気で相談するとかそんなことは全くなかった。さすがに泣いているのは感づかれたかもしれないけど、普通に朝起きて学校に行って、大学に行っていた。普通の高校生・大学生だった。

そして、訪れるターニングポイントの社会人1年目、総合職で入社した会社でお客さんのクレーム処理係になった。日々お客さんから怒られ詰られ怒鳴られた。結局数か月でまた涙が出てきた。でも大人になってたからお酒に逃げた。仕事終わりはビールをロング缶2本は最低でも飲み、休みの日は昼間からビールをまたロング缶2本飲んで、夜はもっとお酒を飲んだ。でもお酒を飲んでも、クレーム処理の苦しさ悲しさ辛さから逃げることができなかった。できなかったから、当時住んでいた3階の窓から地面を眺めていた。このまま外に飛び降りれば、三階だから死ななくても明日仕事に行かなくていいのかな、って本気で思っていた。当時の頭の中では、窓や壁という一枚の物体を超えるだけで少しの安寧が待っている、だからぐずついていないで、乗り越えてしまえばいいんだって声が離れなくて、外を眺めて完全に思考が止まっていた。タバコにも手を出した。でも何かストレスが解消されることはなくてただむなしかった。会社を辞めようと思っていた。本当に数か月しかいないことになっちゃうけど、それでも辞めるしかないと思った。幸いにも実は行く先はある程度目星がついていた。でも、そう思った矢先、クレーム処理からは離れることになった。だから、こういった症状は徐々に軽くなった。お酒を飲んでないとやってられないって思考から徐々に解放されたけど、完全にはよくならなくて、なんか辛いと思う日々も続いた。

でも、この時も朝起きて会社に行って帰ってきていた。夜は眠れなくなっていたけど、それでも会社を休むことなく行き続けていた。通勤、普通の社会人がする毎日のルーティーン。行くのが辛い日もあった。でもちゃんと会社に行ってたから、普通に生きていた。

さらに分岐点、会社の異動を期に、ストレスというかうつ状態が急速に悪化して、つぶれてしまった。もう会社に行けない、このままじゃヤバいと思って、たまたま電話した精神科の初診の枠が本当に奇跡的に開いていたからそこに駆け込んで、ここで初めて自分の生きていて辛かった、このもやもやに名前が付いた。反復性のうつ病。これが答えだった、当時はそう思っていた。落ち込みが激しいとかそういう症状が出てから9年の月日が流れていた。ずっと答えを探していた。自分ではうつ病ってじゃないのかなってなんとなく分かっていたけど、でも本当にそうなのかわからなくて、なんか精神疾患というとイメージもあんまりわかなくて、でも、その戸惑いと辛いことの答えがわかった、「反復性のうつ病」そのラベルというか病名に救われた感じが自分の心を支配していた。

だから会社は休んだ。会社が明らかに原因のうつ状態なのに、会社を休むことをすごく怖いというか、悩んでいた。そもそもうつ病という診断が下ってから次に出勤したときに上司にそのことを告げるのに時間がかかった。言うべきか、言わざるべきか、本当に悩んでいた。でも夕方になってやっとの思いで伝えることが出来た。とりあえず2週間くらい休むことになった。でも、その時にもっと数か月単位で休んだ方がいいって先生から言われていて、それに対してすごく悩んでいた。会社に行くのはすごく嫌だし、行くだけで過呼吸とか涙とか出てくるのに、休むというとなんかすごい後ろめたいと思ってしまった。心は正直固まっていたけど、でもそれを決断することが出来なかった。最後は先生の強い勧めで休むことにした。

 

休んだはいいものの、ここにきて初めて普通が普通でなくなっていった。眠れない。外に出るのが怖い、幻聴、思いつめる心、通院で週に1回病院に行くだけで精一杯。それ以上は無理。でも世の中の人は、休んでるのをさぼってるのと同義だとしている人もいた。あるいは休んでいるから何か出来るでしょ、リスキリングとか。と言われることもあった。頑張って明るい声を出しているのに、思ったより元気じゃんとか言われることもあった。しかし、何もできない。好きだった本を読むことも出来なくなった。そんな私にそういった言葉の数々は刺さるものがあった。

 

この時はきっと精神疾患だったと思う。中身はどうであれ普通にできていたことの数々が、普通の数々ができなくなっていたから。精神疾患の定義は幅広い。国際的な診断基準である米国精神医学会がまとめたDSMやWHOが疾病の統計、分類のために作ったICDなどの病気に当てはまればきっと精神疾患だと、医学上は定義されるのであろう。しかし、実生活においては、おそらく社会人一年目のクレーム処理の数々の時から精神疾患を患っていたと推測される(と先生に言われた)。もっと言えばきっと高校生の時からその感じはあったんじゃないかなって思う。

 

その後。会社に復帰してその会社を辞めて職を少し点々として引っ越しをして、その中で治療方針が変わり、服薬も変わり、と色々繰り返してきた。うつ病だと思ったのが結局は双極性かもしれないという疑念はこの診療方針が変わってきたところにある。うつ病の治療を進めていてもどうもよくならない、それは反復性のうつ病だからと思っていたら、どうも調子のいい日もあってそういう日に限って大きな買い物をしてしまったり、頑張りすぎてしまったり、でもこれは調子のいい日のただの出来事だと思っていた。それを先生に伝えていったら、どうも双極性障害のⅡ型っぽいという感じになった。でも確定診断に至る確信がないのもまた私も感じていた。だからなにかしら精神疾患は持っているけどうつ病かもしれないし、双極性障害かもしれないし、ということなのである。これは疾病がアイデンティティ化している私にとってとっても大事なことである。頭では疾病は大切ではなく、今の自分に合った適切な治療だとわかっている、そんなことは分かっているけど、でも自分は精神疾患と共に生きてきた、と思う。ともすれば、それに名前を付けてラベリングをしたいと思うのもまた私という人間の性なのだろうと思う。

 

会社を転々とはするけど、働いている。精神疾患を持ちながら、普通に、あるいは多少の配慮を得ながら働いている。朝起きて会社に行って夜帰ってきてご飯を食べて寝る。みんながしている生活。でも、生活していく中で「精神障碍者保健福祉手帳」の交付を受けた。様々なメリットが得られるからだ。これを取得するということは、すなわち、制度上だとしても「障害者」を受け入れるということ。精神障害者だと、外見では障害を持っている人として見られないから、普通の人との違いがわかりにくい。ある時は普通の人にもなるし、ある時は精神障害者にもなる。症状が一番悪化していた休職期間中も買い物をしていた、それを外の人から見ると、普通の人。でも自分の頭の中では色んな思考が巡っていてそれが実際ショートしてしまう。それもで、外の人から見えば普通の人、思ったより元気な人、普通の社会生活を送る人。では「普通」って何なのか。人と会話出来て、買い物ができて、車の運転ができる・・・。普通の定義って難しい。年々精神障害を持つ人に対する偏見が減っていき、理解が増えている、気がする。重度の精神障害で動けないような人ではない限り、時に普通の人にも見える。その境目があいまいで焼け落ちていく。それで気付くと自分にとって精神障害者であることが普通であるけど、でも普通の人だって思うときもある。

 

ある精神疾患を持ったコミュニティーに所属している。でもそこで見る人は街中ですれ違っても少なくとも精神疾患を持っている人だとは気づかないだろう。(精神疾患を持つ=精神障害者である、は決してない)でも細かく見ていくとやっぱり傷ついた人たちの集まりだなって思うときがある。傷ついた人たちが集まって、いろんなことを知っていく、時に成長したり、あるいは失敗することもある。でもちょっとずつ良い方向に変わっていく人だっている。

 

精神疾患精神障害は数値で表すことが出来ない。何か医学的に数値化されるものがない。だからこそ、そこがあいまいになってよくわからなくなっていく。「普通の人」にとって「障害者」とラベリングされることに抵抗感を持つだろう。「精神障害者」としての私が普通の人か精神障害者かわからない時がある。当時は色々なことを思って精神障害者になったが今となってはそれも当たり前のものととして受け入れている。むしろ利用している。それは今まで被った様々な不経済なことを少しでも穴埋めできればと思っているからこそである。ある意味ではちょっと良くなったのかもしれない、でもまだ様々な支援をしてもらう資源がないと生きていくのは難しい。精神障害と普通の人を行ったり来たりして生きている。最初はなんだかんだ提示するのが恥ずかしかった障害者手帳も今ではちょっと抵抗はあるけど、提示することが出来る。きっと自分の中の「普通」に障害を持つ自分が入り込んでいる。今まではどちらかというと、精神障害とか精神疾患が普通に寄ってきたと思っていた、でも別の見方をすると、自分の中の普通が精神障害に寄ってきたのかもしれない。

 

自分の中の普通と、いろんな人の普通って絶対に違う。同じインプットをしても同じアウトプットにならないように、いろんな人が色んなことを思って生きている。例えば、休職している時に色々な言葉を無慈悲にかけてきた人たちにもそれなりの矜持や意図を持っている。それらを一般化してなんとなく出来ているのが世間一般でいう普通に生きることなのかもしれない。必ずギャップがある。ギャップで苦しむ。理解が進んでも決して世間の多くの人から精神障害は良いようには見られない、と思っている。だから時々落ち込んで精神障害者にもなるし、普通の人にもなりたいと思っている自分がいる。普通じゃないと世間ではなかなか受け入れてくれないから。でもそれを自分で演じるのは正直疲れる。こうしてなんだかわかったようなわからないような論理を展開している中で、結局障害者と普通の人のはざまで悩んでいるというより、そうして悩むことで世間に、自分の外の世界に、置いてけぼりをされるのが怖いんじゃないかなって思う。はざまで生きていたい。それはとても都合の良いことかもしれない、でも確かに辛いことはたくさんあるから一概に「ずるい」と言えないと思っている。そういいながら、「こういうのずるいよな」、って自分もいる。世間にいろんな普通があるように自分にも複数の自分や普通を持っていたりする。だからこそ思考は難しくなる。一概には言えなくなる。

 

色んな自分がいて色んな普通や常識や思いがあって、それが世間とは違っていてそれでも、自分は、それでもいいとは、言い切れないから、障害者と普通の人のはざまで今日も彷徨い続ける。