うつ病で休職中に中島みゆきに励まされた話

うつ病で休職する。世間から見れば、遊んでいるのか、はたまた辛い想いをしているのか、はたまたどうだろう。休職すると、確かに気分は落ち込んでいてでも楽しいことはできるんじゃない、これくらいに思われるのもあると思う。私は、少なくとも私の場合は違う、と言える。休職中に遊べる?冗談じゃない。そんなことできっこない。やったら痛い目にあう、そんな休職期間、うつ病の急性期を過ごしていたとき、本が読めなくなった、文章の意味がわからない、文字が浮いて見えてまるで頭に入ってこない。どこかに行くのは、人が多いと後ろ指をさされている気分、コロナが流行っていた時だから、コロナになったらあいつは休んでいるのにコロナになるなんて、と会社の人に言われそうで、怖い、外に出られない。最終的に15分の散歩でばててしまうレベルまで落ち込んでいった。もちろん休職なので賃金は満足にはもらえない。確かにもらえるだけマシであるので文句を言ってはいけない。しかし、好きなことをやる原資がない。よって何もすることのないそんな休職期間で、消極的にでもできた事、それはYouTubeを見ることと、音楽を聴くこと。

YouTubeを見ると言っても、四六時中何もできずにパソコンの前に座っていたらいつの間にか見るものなんてなくなる。そもそも内容が入ってきているような入っていないような感じだし、過激な内容は苦手なので、見るものは必然と限られる。見てみたいと思っていた動画はすぐ見終わった。結局24時間ライブをしている「ウェザーニュースLiive」というものにはまった。朝5時から夜23時までキャスターさんが出演してお天気を教えてくれる、面白要素もある。急性期の私は悪夢を見るのが怖くて朝4時には起きていた。だから、5時から人が出てきて変化があるウェザーニュースに救われた。私のモノトーンな生活にちょっとした変化を与えてくれた。

そしてもう一つ、この話の中心となる中島みゆきに励まされたのである。本当は呼び捨てなんて畏れ多い。私は小学校4年生のころから中島みゆきが好きだ。きっかけはとある授業でプロジェクトXを見た、内容はホテルニュージャパンの火災対応、でもその内容より、主題歌の「地上の星」に魅了された。こんなに強い歌声で歌う人がいるのか、と驚いた。そしてたまたま両親が中島みゆきのCDを少し持っていたので、聴いてみた。そうしたら、その独自の世界観に魅了されに引き込まれた。小学生にしながら中島みゆきのCDを集めるをことを始めた。知り合いと塾に行くときにも持ち運べるCDプレイヤーを買って知り合いそっちのけで楽曲を聴いていた。知り合いは呆れ気味に「何聴いているの?」と尋ねてきた。「中島みゆき35thアルバムの ”I Love you 答えてくれ"だよ」と答えてもよくわからないといった感じであった。そりゃそうだ、小学生から中島みゆきを聴いている人が世の中に一体どれくらいいるのだろう。

それから中学校、高校、大学、社会人と中島みゆきの楽曲と思い出がリンクしている。全体で700曲以上(CD化されていない楽曲も含めると1000曲)あるので、大体よく聞く曲がそれぞれの時代ごとにある。

私は中島みゆきの歌は前期・中期・後期と分けられると思っている。前期はどちらかというと暗めな歌が多くて、人生の闇な部分を歌い上げていたり、悲しみが主体となっている感じがある、恋ともいえるかもしれない。失恋曲の女王と呼ばれるのはこの時期のイメージなのだろう。中期は、少し明るくなって愛とか、生きるとかそういうのがテーマとして多い印象がある。そして後期は、生きろ!ここに収縮されるような気がする。

そしてうつ病で休職時、一人悲しく、なんでこうなってしまったのか、大学を主席で卒業して東証一部(当時)上場企業の総合職として就職できた過去の栄光と、うつ病と診断されて何もできなくなった今の自分の差を受け入れられなくて、もう色んなネガティブな感情が巡ってどうしようもなく泣きながら家の隅で壁に身を預けながら止まらない思考をめぐらせていた時、そっと寄り添ってくれたのが中島みゆきの楽曲なのだろうと思う。分類としては前期の曲がすごくフィットした。具体名でいうと「誰のせいでもない雨が」「時は流れて」「成人時代」このあたりの曲。聴いていると安心はさすがにできない、安らぎとかはその時は到底無理。でも、自分の心情の波形と楽曲のテンポとかそういう波形がマッチしていたと思う。心がボロボロでどうしようもなくて苦しかったあの時に、聞く曲がある、とても救われる、しかも心情の波形とマッチするならなおさら。

休職期間中に中島みゆきの全歌集という今までのリリースされた歌詞が詩の形式で記載されている書籍があることを知った。調べたら近くの本屋で売っているとわかったので買いに行った。上で書いたが、本は読めなくなっていたが、この全歌集は数ページ進んでちょっと休憩を繰り返せば読めることがわかった。今まで聴覚情報でしか曲のイメージを構成していなかったが言語情報で、ここのフレーズはこういう言葉を漢字を使っていたのか、とか、そういう補足情報を与えてくれた。だからもっと知りたい、もっと先に進みたいと想えた。ちょっとずつ日々読む量は増えて行った。それでも、字がびっしりと書かれた小説本は読めなかったけど、本というものを読めるという事実は私に自信を与えてくれた。

だから、私は2つの点で救われたと思う。昔から知っていて好きなアーティストがうつという心情的に不安定だったりするときにその波形にマッチしていたものをリリースしていてくれたこと。正直、こうなる前は前期の歌はちょっと暗いし、入りが地上の星という力強い曲なので、ちょっとイメージが違うかなぁと思ってあまり聞いていなかった。ふとした時に聞いてみたら波長ぴったり。辛い時に音楽という彩を与えてくれた。辛い時は世界が単一色しかないくらいイメージになってしまう。中島みゆきの前期楽曲自体が明るいとは言えないけど、こういう時に明るい歌は心がしんどくなってしまうので、ちょうどいい塩梅なのだと思う。そして2点目は、読書好きだった私から読書ができなくなるというショックで自信喪失なエピソードからちょっと内容は軽いけど本は読めるようになった!と自信を与えてくれたこと。

うつ病の急性期はとにかく辛い。なんでこんなに辛い想いをしなくちゃいけないんだって思うくらい辛い。自分を責める、自分が責められると思う。当事者でいると辛いけど、その辛さってメタ認知的に見えなくて辛い感情の渦に飲まれる。飲み込まれる。そして這い上がってこれない。そういう時に何もないのと聴けると思える歌があること、そういうのには励まされたなと思う。