大学主席で卒業したのにうつになった話。パート6

前回はGWまで休むことになったところまで書きました。今回は、GW明けどうなったか、書いて行こうと思います。

 

GWはひたすら考えていた。先生の言う通り休んだ方がいいが、正直決心がつかない。でも仕事に対するネガティブなイメージが増長するばかり。こんな状態で働けるのか。いや、働けないであろう。ならば休むしかない。けど、でもこんなんで休んでいいのか。という堂々巡りをしていた。

そうこうしている間にGWは明け、出社日が訪れた。その出社日、仕事に対するネガティブなイメージから、出社する途中で過呼吸で歩けなくなり、近くの自販機にふらふらでたどり着き、水を飲んで気持ちを落ち着かせる、上司が来るまでの間パソコンと向き合うが、これもまた過呼吸でそんなところではない、といった有様であった。

そして、上司とまたミーティングルームに行って、話をした。上司には、「この際、3か月休職させて頂きたく思います。」と正直に伝えた。そもそも書いたありさまなので、仕事を遂行する能力があるとは思えなかった。でも人間不思議なもので、その状況になってもなお、自分くらいの症状で休んでいいんだろうか、という心のしこりは残すのであった。また、そのほかに、「前任者との引継ぎがあいまいだったプロジェクトを担うのが負担だった。」「上司の期限が悪くて怖かった。(今思うとよく言えたものだと思うが。)」「元居た部署に戻してほしい。」ということを伝えた。上司からは、「今までの部下が、自分の仕事に関わるなという我の強いタイプが多かったから、接し方を間違えた。」などの旨の話があった。

そしてその後、人事責任者ととても偉い方との面談があった。その場では色々言われたが、結局オールドタイプで、うつ病に理解があるとはいいがたい話があって、正直疲れた徒労感で終わってしまった。

しかし、休職は実質的に認められたので、3か月の療養に入ることになった。

 

休職していたわけだが、やることといてば週に1回の通院であとは全く何もしないというのが当面の目標になった。とにかく休養するように先生から言いつけられていたからである。しかしどこかに行く気も起きないので、とにかく家にいてYouTubeをぼーっと眺めて一日を過ごすのである。

では、体調面がどうなっていったのか推移を見て行こう。休職当初は不安感や不眠が強く、どうにもならなかったのであるが、仕事から離れておな、体調は悪化の一途をだどって言った。仕事から離れることで一時的には負担から逃れてることができたが、それも一瞬で過ぎ去り、体調というものの悪化という現実を見なければいかなかった。日に日に不安感は強まり、不眠はひどくなっていった。不安感については、日中30分でも動けば、夜色々な不安感に襲われて、動けなくなる、涙が出てくる。何かにつけて、自分はなんでこうなってしまったのか、後悔、みじめさ、くやしさ、両親への申し訳なさ。もう色々な感情が入り乱れてぐちゃぐちゃになってしまった。不眠については、最終的に1時間に1回悪夢で目が覚めてしまい、結局朝4時には寝るのを断念して、起きてただひたすらにYouTubeを見ていたのである。睡眠は、23時就寝朝4時起床がしばらく続いた。そうすると日中に激しい眠気に襲われて仮眠を5回程度取っていた。日中バリバリに働いていた人が日中に30分でも運動(散歩)をすればもうエネルギー不足でかなり精神的に不安定になる。また苦しい時間を過ごしていた。

そして、集中力がなくなった。本が読めなくなったのである。文字が浮いて見える。文章が頭に入ってこない。これは相当応えた。私は読書好きで、休日に本屋に出かけては、本を数冊購入し、それを読んでいたのである。そんな読書好きだった私に、病気は読書という好物を取り上げてしまったのである。それでさらに自己嫌悪に陥って、不安へのループに入る。本を読むのにもエネルギーが必要である。だから徹底的にエネルギーが足りなかった。そしてエネルギーを補給して生活を送れるようにするために運動をしないといけないがそれも満足にできない形になっていた。

そのほか病的な話でいうと、新型コロナウイルスが流行っていた時であったので、もしこれでコロナになったら会社の人に顔向けできない、どんなことを言われるかわからない。後ろ指をさされるのが怖い。ということで、徹底的に消毒をしたのである。まず外出したら必ず手を石鹸で2回洗う。そしてシャワーを浴びて体全体を消毒する。着ていた服はすぐ洗濯機に放り込む。それだけではない、物体の表面上にコロナウイルスが付着したときの、ウイルス死滅の時間まで外から持ち込んだものは触らない。例えば、本などの紙類は1日は死滅するまでに時間がかかるから、それまで絶対に触らない。家を汚染区域と非汚染区域に分けて、非汚染区域では安心して居ることができるが、玄関やそこに近い廊下、汚染区域には絶対に近寄らず、数日に一回、クイックルワイパーで徹底除菌していた。正直今思えばかなり病的だったと思う。コロナになるという恐怖からの行動であったが、かなりやりすぎだと思う。

加えて、外出した時に不機嫌な人を見つけてしまった。不機嫌と言えば、私の上司である。色々な記憶がフラッシュバックして、過呼吸になってしまったので、外出はしばらく控えるようになった。先生からは、なんでそう思うんだろうか。全然関係ないじゃないかって伝えられたけど、でも思い出すものは思い出すので仕方ないじゃないかとも思ったりもしていた。

 

この時期には、自分の自信、大切にしていたもの、色々、へし折られて自信がなくなって、不安が一層増えるという悪循環であった。

 

服薬の方は、向精神薬が徐々に増えていき、睡眠薬を色々試してみたが、どれもあまり効果がなく、切り札の薬を処方されて、それを増強させる薬を飲んでなんとか眠れるようになったが、眠りが安定するまでに3か月かかっていた。ちなみに先生から、仮眠5回はとりすぎなので、どんなに取っても 1日3回15分までと決めたので、日中は激しい眠気と闘いながら、何をするわけでもない、座っていると寝てしまうので立ってぼーっとしていたのである。これもこれで結構応えるものであった。かと言って夜は服薬が安定するまで眠れないし…。でも日中その眠れなかった分を補うことは許されない。非常に困ったことであったが、睡眠が安定するにつれて、日中の眠気は解消されていくわけであるが。

 

3か月と言えば当初の休職期間である。3か月経ってやっと睡眠が安定してきたか、してないか、不安も強く、日中の活動もあまりできてない。そんな状態で復職できるわけもなく、さらに3か月休職期間が増えることになった。当時さらに困ったことに、不安でどうしようもないときに水を飲みまくる。心因性多飲症(いわるる水中毒)というのを患っていて、一日5L以上の水を飲んでいたので、体内のナトリウム濃度が下がって、身体症状に現れたり、幻聴が聞こえたり、というのがあった。ちなみにこの幻聴であるが、言語と非言語にわけることができて、うつ病からの幻覚は言語的なもの。例えば職場で後ろ指さされて笑われていたり、ばかにされる音声が聞こえてくる、というもの。非言語では、ノイズキャンセリングのイヤホンをしているのにたびたび笑い声が聞こえたり、といった具体であった。でも水を飲んでいる一瞬、その一瞬だけは落ち着くことが出来る。不安や色んなネガティブな感情がある中でこのひと時本当にマッチのような安息を手に入れるために体に幻覚症状を起こしたり、もう何とかこの感情から逃げ出したい一心であったと思う。

 

休職延長を当時人事の責任者に伝えたのであるが、言われたのは「思ったより元気そうじゃないか」ていう話だった。私はそりゃ人と話すとき、特に会社の人とは努めて明るくするようにしてますからね…とは言えないのである。結構伝えるのも勇気が必要で、何度も電話をかけるかかけざるか、迷ってうだうだしていたのである。結局のところ、休職延長も合意が取れて、さらに休職期間が延びた。季節は夏になっていた。夏は私が一番嫌いな季節である。夏で暑くて夏バテ気味であったし、何より、社会人1年目のころちょうど不安や不眠が最高潮に達したのは、夏だった。だから夏は、嫌いだ。これは今でも変わらない。

 

今回は復職延長までのお話をしました。次回は、どういう過程で体調が良くなっていったのか。お話したいと思います。